私の経営者としての人生に一貫して続くテーマが「思考が現実をつくる」ということです。

というのが、私たちが普段行っている仕事でも、使っているものでも、全ては人の思いから生まれてきているからです。 例えばiPhone。この便利な物も最初は、スティーブ・ジョブズの頭の中になかったら現実化することはなかった訳です。

私たち中小企業の経営は組織が小さいだけに、経営者の思い、考え方によって決まってくる部分が大きいといつも考えてきました。

 

プロフィール

ここで私、川中努のプロフィールをお話しいたします。

1972年にこの松江市に生まれ、高校を卒業するまで育ちました。

あかちゃん


幼い頃は、男三人兄弟の長男として、酒屋の仕事をする父とそれを手伝う母を見て、小さいながらも親が喜ぶように一所懸命、弟の世話をしたりして「兄として頑張らなきゃ」と思っていました。

自分の原体験となる、その頃の経験、特に母親との出来事は大人になっても意識の深い部分に残り、影響を及ぼすと言われます。

 

私の場合は、幼少期「母親から十分愛されていない」というマイナスの思いがありました。

母はいろんな経験からでしょうが、恐らく幼い子供は厳しくしつけをすれば後々、その子が大きくなった時に必ず役に立つと考えていたのではと思います。

しかし、親の心子知らず。当の子供としては「厳しさ=愛が足りない」と捉えていた訳です。

今でも覚えているのが、小学校一年の夏、風呂上りだったように記憶していますが母から

「あなたの教育は失敗した。」

と言われた、というか当時の私としては、そう捉えたのです。そして、大人になってもずっとその言葉は意識の中に残っていました。

 

もう一つ、大きくなるまでの自分の中に沈着した思いが、お酒に対する認識・捉え方です。

確か小学校4年の頃、父が独立し酒屋を営むようになり、自宅の1階は酒屋、2階が家という生活が始まりました。

当時の街の酒屋では、店内のカウンターでお客さんが日本酒のワンカップとおつまみを立ち飲みする習慣がありました。

小学生ながら、お客さんのおじさん達の話相手をしていた私は、そこで色々な体験をしました。

ある方は、戦時中にシベリア抑留された苦労話を何度も何度も話されました。今になってみれば大変なご苦労だったと理解できますが、子供にとっては「またその話か…」という気持ちも正直ありました。

そして、あるおじさんは酔っぱらうと必ず大声を出して怒鳴り出す。

そのおじさんだけではなく、お酒を飲むと、普段の優しさを失い、人が変わったように怒り出す。

幼心に、お酒は人の嫌な面を引き出すものという風に入ってしまったんだと思います。

次第に、店番から足は遠のき、嫌なお酒の飲み方をする人との接点は少なくしたいと思うようになりました。

 

高校生の時、外資系の会社の副社長が書いた、外資の会社で働くこととは、というような本を読み、英語が得意だったということもあり、将来は日本の会社ではなく、飲み会などない外資系の会社で働きたいなと思うようになったのです。

それも、「お酒は人を嫌な風に変える。」というネガティブな思いがどこかで作用していたからだと思います。

高校卒業後は一人で上京し、国際的な分野を学べる、青山学院の国際政治経済部に入学しました。

大学を4年間で卒業し、高校の頃から思っていたように、外資系の会社2社、トイザらスとジュピタープログラミング(現JCOM)で主に人事担当者として働いておりました。

島根に戻って経営者になりたての頃

いろんなことが重なり、5年間のサラリーマン生活を終え、1999年に島根にUターンしました。そして、嫌っていたはずのお酒を扱う、家業の「酒屋」を何故か継ぐことを選んだわけです。

外資系の会社で少しの経験を積んだだけなのに、何故か当時の私は「会社経営など簡単なものだ。」という根拠のない自信がありました。

そして、2001年、29歳の時に酒量販店4店舗と不動産賃貸業を行う会社の社長となりました。

しかし、ここからが挫折だらけの経営者人生の始まりだったのです。

島根に戻って経営者になりたての頃

2000年代に入り、規制緩和によりお酒が色々なところで売られるようになり業績がずっと右肩下がりとなりました。

挽回するために飲食業(レストラン・リバービュー)、酒パラダイスを改装し仕入れの要らないアミューズメント事業(カラオケ、ビリヤード)を始めたのですが、上手くいかず単年度赤字を出しました。

幹部社員の離反など試練の連続。すっかり自信をなくしていたところ、2009年に弟に期間限定で社長を交代してもらったこともありました。

そして2012年に再び社長となり今日に至るという訳です。

 

思いが現実をつくる

島根にUターンして間もない頃、当時会社にいらっしゃっていたコンサルタントの先生の勉強会でナポレオン・ヒルの著書『思考は現実化』するに出会いました。

それが私が「思考が現実をつくる」ということを初めて知ったきっかけでした。


2000年代の規制緩和により売上が下がる悩みの中、京セラ創業者である稲盛和夫名誉会長が主宰される、経営塾「盛和塾」に塾生の方の講演を聞いたことがきっかけで入塾しました。

稲盛和夫さんに教えていただいたテーマは「心を高める、経営を伸ばす」でした。盛和塾で教わったことは今でも経営者として私の血肉となっています。

しかし、盛和塾で熱心に学び実践しているつもりでも、同じ塾生は上手くいっているのに、自分は多角化に失敗し、やがて失意の中社長を退くことになりました。

新卒トイザらス時代

社長を降りている間、私は一度肩の荷を降ろし、もう一度、これから自分がどう生きていきたいのを考える機会に恵まれました。

その中で私にとって人生の転機になるきっかけとなった本を読んだのです。

 

それは、ある方のメルマガを通じて知った、アメリカの人間行動学の専門家ドクター・ディマティーニの本「世界はバランスでできている」との出会いでした。

今でもよく覚えているのですが、本の中にはこの一文が書かれていました。

「あなたは何をしても、何をしなくても、愛に値します。」

当時、社長を降り、自己卑下の連続だった私にとって、この一文にとても救われた気持ちになりました。

そして、「ドクター・ディマティーニ会ってみたい。彼の話を聞いてみたい。」と思うようになりました。


東日本大震災のちょうど1年後の2012年3月11日~12日、彼のワーク付き「ブレークスルー・エクスペリエンス」セミナーに参加しました。

初めてディマティーニに会った日

そこで、私はワークの対象者にした、当時嫌で仕方なかった人が私にもたらしたネガティブな出来事に対し、今まで経験にない感謝の思いを抱いたのです。


感覚的に、「このメソッドは私の人生を変えることができる。これを身につけて経営を良くしたい。」と思いました。

そしてすぐさま彼のファシリテーターとなるための2つのトレーニング・プログラムを受講しました。


しかし、その後も仕事で起こる数々の試練、人間関係での苦労、得られない心の平安。

なんとかそれを得たいと、日本におけるディマティーニの第一人者である、東京・表参道の人生デザイン構築学校の校長・高衣紗彩先生の元で学ぶようになりました。

先生はドクター・ディマティーニの教えを私たちが分かりやすいように日々の生活の中に噛み砕き、自分独自のミッションを軸にキャリアと資産形成の両面で心豊かな人生をデザインしていく方法を教えていただいています。

認定

ミッション誕生

私は人生デザイン構築学校で学びながら、次第に自分の中で何が一番大切なのか、私独自の価値観の優先順位を明らかにしてきました。

ドクター・ディマティーニの開発した「価値観ワーク」(Dematini Value Determination™)の13個の質問によって、自分自身が何に「空間」「時間」「エネルギー」「お金」などを費やしているのかという、実際の行動を答えていき、最も価値を置くもの、2番目に価値を置くもの、3番目・・そしてどうでも良いことまでの優先順位を明らかにしていきました。

また、同時に自分にとって、意識の深い部分に眠っている思い、特に幼い頃の思いも見つめることになります。

これは“欠落感”というのですが、例えば幼い頃から「自分はこれが上手くできない。人と比べて劣っている。」とか「うちの家庭はよそと比べて、この部分が足りなかった。」など、たいていの場合はネガティブな思いをずっと持ち続けているのです。


前述の通り、私が幼少時からずっと持っていた欠落感は「母から充分に愛されていない。」という思いと、「お酒を飲むと人の嫌な側面が出る。」ということでした。

詳細は省略するのですが、その思いを一つ一つ解きほぐすために、ワークを用いて書き出すことで、次第に心境に変化が表れてきました。

つまり、“欠落感が生みだした私独自の才能”に気付くようになったのです。

「母から充分愛されていない」と感じていた私は、何とか母から好かれようと、幼いながらに弟たちの面倒を見るようになりました。

そして、躾が厳しかった母の機嫌を損ねないように、細かいことまで気付くようになりました。

この才能を使って、私は人や物事の細部や内面に気付く力を養いました。

そして、当社の事業においても、それは“4S”(整理・整頓・清潔・清掃)として、商品管理や環境整備の仕組みとして活用されており、大きな貢献をしてくれています。


前述の13個の行動を見つめる質問「価値観ワーク」によって、明文化された私の最も重要な価値観は、「(人との)つながりを生み出す」ことだと分かりました。

その言葉を何度も何度も磨き上げていく中、次第に自分の中で大きな認識、捉え方の変容が起きてきました。


私はもう一つの欠落感である「お酒を飲むと人の嫌な側面が出る。」つまりお酒のビジネスを自分の生業としながらも、それを否定していることに向き合ったのです。

すると、お酒は上手く飲まなければ、そのようなネガティブな側面もあるが、一方で人の心をオープンにし、人と人との垣根を下げていくという役割を果たしていることが深く入っていったのです。

それは、まさしく私自身のミッション「つながりを生み出す」ために格好なツールであって、私はお酒を提供する、つまり「つながりを生み出す」ことを自分の経営で表現していけるということが腑に落ちたのです。

2019年、パラダイスコーポレーションは25年間続けてきた、お酒を一般消費者に販売するB to C部門「サケパラ」を閉店しました。

そして、飲食店さまを中心としたテナント賃貸・管理部門「パラダイスリアルター」とお酒を飲食店さまに提案・配達する「サケパラデリバリー」というB to Bに業態を移行いたしました。

それに際し、出来上がったのが当社のミッション・ステートメントです。

ミッション誕生秘話

ミッション・ステートメント

私たちパラダイスコーポレーションのミッションは“つながりを生み出す”ことです。

 

私たちは、お酒の仕事を通じ、心を交流させることで、お客様に、仲間に、関わる全ての人たちに、高い価値と幸せをたくさん提供します。

 

そして、私たち一人一人が持つ独自の才能を使って、仲間であるお客様の経営が目標を達成し成長することを手助けします。


更にその先に、培った技術と経験を元に、この愛する出雲の地に、広く貢献する会社へと成長を遂げていきます。

 


私たちは、このミッションの元に「お客様の商売のご繁盛をサポートする」集団として、微力ですが全力を尽くしていく所存です。

それは、従来の酒屋さん、テナント賃貸業の枠を取り払い、もっとニュートラルな視点で、ミッションに生きて行くことで、自分たちの独自の才能を用いて、関わる人を幸せにしていけるのかという新たな挑戦です。

どうぞ、私たちパラダイスコーポレーションの今後にご期待をいただければと思います。