川中努BLOG

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  • 盛和塾山陰~俺の株式会社・坂本孝社長勉強会~ 2013年10月26日

    こんにちは。川中努です。
    10月ももうすぐ終わり。いよいよ今年も残すところあと2ヶ月ちょっとになりましたね。自分自身に納得のいく1年の締めくくりができるように、残りの2ヶ月をラストスパートをかけていきたいと思いますDASH!

    さて先日、以前所属していた「盛和塾山陰」の勉強会に参加させていただきました。

    講演されたのは、日本の古本市場ではシェア70%を占めるブックオフ創業者で、現在は「俺のフレンチ」、「俺のイタリアン」などのブランド名で約20店舗を展開する俺の株式会社代表取締役社長・坂本孝さまでした。



    「俺の」シリーズのレストランは、ミシュランの星がついた一流のシェフたちがつくる通常なら1品1万円以上する料理が10分の1程度の値段で食べることができ、大繁盛、長い行列ができることで有名なお店です。ボクも以前東京出張に行った際に予約しようとしましたが、取ることができませんでした。

    今回、米子のダックス株式会社の会長で盛和塾山陰の代表世話人の大畑さんにご招待していただき、今や飛ぶ鳥をも落とす勢いの坂本さんのお話を伺えるということで非常に楽しみにして行きました。

    講演会の内容に入る前にまず坂本さんの略歴を紹介します。(出典:Wikipedia)


    <略歴>

    1959年3月 山梨県立甲府第一高等学校卒業。
    1963年3月 慶應義塾大学法学部卒業。
    1963年4月1日 父の経営する精麦会社、坂本産業に入社。
    1972年 オーディオショップの経営に乗り出す。
    1977年 オーディオショップの経営に失敗し店じまい。
    その後、中古ピアノ販売業、遊休地再開発プロジェクトで経験を積む。
    1990年5月 今までにない中古本販売のブックオフ直営1号店千代田店を神奈川県相模原市に開設。
    1991年8月 ブックオフコーポレーションを設立、社長に就任した。
    2006年6月24日 同会長に就任する。
    2007年6月19日 会長を辞任。
    2009年 バリュークリエイト株式会社設立。
    2012年11月 俺のフレンチ・俺のイタリアン株式会社(現・俺の株式会社)設立 、代表取締役社長。


    以下に坂本さんのお話の内容を記しますが、最初にお断りしておくのは、この内容は当然ボクの主観が入っているものですので、坂本さんが同じ意味でおっしゃっていないこともあるということはどうぞご了承くださいね。

    【波乱万丈の経営者人生】

    坂本さんは、お父様の事業を手伝っていらっしゃいましたが疑問を抱き、30代で起業されました。しかし、オイルショックの最中に信頼していた部下が資本金3千万円を持ち逃げしその事業は立ち行かなくなりました。

    その後は、「部下は当然雇用主の指示に従っておけば良いのだ」と全く信用せず中古ピアノ販売業などを繰り返していましたたが、どの事業も一定の規模で頭打ちになったとのことです。


    【盛和塾との出会い】

    ある時、盛和塾塾長の稲盛和夫さんの書かれた『心を高める 経営を伸ばす』を読まれた坂本さんは、「この人に会って話を聴いてみたい」と思い盛和塾に入塾されました。

    50代で古本業を興していましたが、神田の古本屋さんからは「この商売は目利きになるまで相当な時間を要する」と言われたときに「そんな時間がかかったら俺の人生設計が立たないじゃないか」と思い、誰にでも簡単に古本の買取ができるオペレーションをシステム化されました。

    ブックオフではパート・アルバイト(PA)従業員でも買い取りができるようにその作業を平準化。単純な仕組みであるため、2週間でPAがオペレーションができるのと同時にお客さまがその仕組みを知っていただいたことが成功の鍵だということです。

    今やブックオフは日本の古本マーケットの75%のシェアを占めているということです。しかし、その理由は決してシステムやマニュアルではないということです。

    以前、アーネストヤング主催のハーバードビジネススクール「ベンチャーオブザイヤー」を受賞した際アメリカ経営賞。マイケル・ポーター教授から、PAの素晴らしさでその競争優位性を評価されたとのことです。

    その秘訣を以下のエピソードと伴にお話し下さいました。

    ブックオフでは年に一度、約100店舗の店長が各店から一人推薦するPAをグアムに招待するらしいのです。

    到着後、まず最初に行うセレモニーは店長が書いた手紙を読むらしいです。「何故私(店長)があなた(PA)を店を代表して、このグアムに行ってもらおうと思ったのか。どれだけ私があなたを信頼し評価しているのか。」それを聞いた途端にみんなが号泣するそうです。

    そして、飲めや、食えや、踊れの3日間が始まります。驚くことに、社長である坂本さん自らがまずは率先して“ヒゲダンス”を踊るのです。

    「社長がバカをするなら部下もバカになれる。」

    坂本さんとPA100人の密かな交流、距離を縮める場3日間が終わり帰るときにはみんな家族以上に仲良くなっているらしいのです。

    「人財育成にマニュアルなどはない。」とおっしゃっていました。


    【再び波乱の人生へ】

    しかしそんな坂本さんですが、部下の不正経理が原因で会長を辞任されました。そんなとき、稲盛さんに京セラの東京オフィスに呼び出され、「キミは盛和塾で一体何を学んできたんだ?!」ともう少しでノックアウトされかけるくらい激しく叱られたということです。この時ほど稲盛さんの愛情を感じたことはなかったらしいです。

    その後、ブックオフの株を売却しキャピタルゲインでハワイのコンドミニアムで優雅に暮らそうとしていたところ、稲盛塾長が日本航空の再建に乗り出すという話を聞きます。

    「自分はこのままでいいのだろうか?」

    そして経験のない飲食業に携わり始めました。坂本さんは東京のミシュランの星がついた飲食店を食べ歩かれました。寿司屋には特に詳しいとのことです。

    ご自身は自己紹介をする時にこうおっしゃるそうです。「飲食業をしています。苦手な料理はフレンチとイタリアンです。」

    「ワインも赤か白かロゼくらいの違いならわかるよ。」とおっしゃっていました。しかし、この業界のことを知らないのが、ボクには現在の「俺の」シリーズの原動力になっているような気がしてなりません。


    【俺のフレンチ開業】

    俺のフレンチはミシュラン並みのレストランで原価をたっぷりかけて、回転数(つまり1日の来客数÷店の席数)3回転で損益分岐点売上高、そして経常利益率10%を出せるビジネスモデルを、坂本さんが頭の中で思いついたものだということです。

    そして、そのビジネスをスタートするために必要なのはミシュランの星がついたレストランでの勤務経験があるシェフだということで、都内にある飲食業に特化した人材紹介会社を集めたということです。

    「ミシュランのシェフを連れてきて欲しい。」

    ボクも東京でのサラリーマン時代に東京の人事の仕事をしていたので分かるのですが、人材紹介を受け採用すると年収の20~30%をフィーとして支払います。俺の株式会社では、年間に支払うフィーが1億2千万円ということです。しかし、坂本さん曰く「これは経費ではなく投資である。」

    フレンチシェフをたくさん採用した後に、さてこの人たちをどう使うかと考え、そこからが坂本さんのノウハウ。彼らのキャリアパスは、お金を貯め海外に渡りミシュランのレストランで働き、スーシェフになり帰国して料理長を夢見るというものです。

    しかし折しも、俺のフレンチを開業するときはリーマンショックからの不況で思い通りにいかなくなった時期とも重なりました。ホテルの2番手になっても自分の満足するような仕事はさせてもらえません。

    そんなタイミングで彼らを採用しようと一生懸命だった坂本さんは、常務取締役の安田さんと役割分担して彼らを口説くということです。安田さんは証券会社で各業界の成功モデルを知り尽くしている。そして坂本さんは、高級寿司店にシェフとシェフの奥さんを呼び、また口説く。口説くというというよりも、切々と将来の夢を語り、理念の共有する訳です。これは坂本さん独自のノウハウであると思います。

    「最高の料理人は素晴らしい人格を持っている。それはどの業界でも同じ。」

    しかし人格者であるだけではなく、彼らには“左手にソロバン”(=損益計算書)を持ち、右手に“聖書”(=理念)を持つことを求めます。驚くことに俺の各店では、仕入れ、売価設定などは全て店長裁量。損益計算書は全店公開。6店舗の俺のフレンチ同志がライバルとして戦っているのです。

    「セントラルキッチンは決して作らない。」


    俺のフレンチ銀座店


    【生涯現役】

    現在72歳の坂本さんのこれからの夢を語られました。

    まずは、来年の秋にニューヨークに150坪の「俺の割烹」をオープンする予定だそうです。いきなり世界大会で優勝を狙う。店内には日本食にジャズ。ジャズを入れるとワインの売り上げが違うそうです。

    そして人財教育に関しては、来年採用する辻長調理学校卒業生20人採用予定。銀座本社ビルの地下に坪1万場所を借りて人財育成学校を開設されるとのことです。

    2020年、東京で開催されるオリンピックの前年の2019年に“食のオリンピック”を開催したいという夢をお持ちだということです。そのとき、坂本さんは79歳。

    「この仕事を始めたときから、おもちゃ箱をひっくり返したみたい。後へは引けない」

    生涯現役です。

    【お話を伺って】

    坂本さんのお話を伺って感じたのが、

    “波乱万丈な人生と卓越したビジネスセンスの持ち主”であることと“逆境をバネに不屈の精神で、次のチャンスを呼ぶ”方であること。

    ブックオフの会長職を追われ、あのままハワイで悠々自適の人生を送ることも充分できたのに、敢えてまた逆境にご自分を置かれる。

    恐らくそれは坂本さんが心の奥底にある価値観で、生涯現役でありチャレンジャーであり革命家であることを求めておられるのではないかと思いました。

    価値観とは言い換えるならば“欠乏感”でもあります。人は自分に足りないものを手にしたくなります。

    「人は価値を置く分野で才能を発揮する」

    稲盛塾長をして「あなたは商売の天才だ」と言わしめた、類まれな商才をお持ちな反面、その才能を発揮する場をいつも欲していらっしゃる。

    今や古本業界の最大手となったブックオフを創り出すという光と、その会社を去らざるを得ない境遇を引き寄せた陰の部分。しかし、はっきりと思うのが、そのマイナスがなかったら今日の「俺の」シリーズは決してなかったでしょう。そこへ行列をなして行き楽しむお客さまの笑顔もときめきもなかった訳です。

    プラスとマイナスは必ずセットになって存在し、互いが補完し合いながら次のものを創り出すということを坂本さんのご経験を通して学ばさせていただきました。

    今41歳のボク自身、自分の持つ価値観に従いこれから経営者として人として、どのように使命を果たしていこうかと改めて考えることができました。

    坂本社長、改めてありがとうございました!



    懇親会でのご様子



    塾生より花束の贈呈

  • 出雲駅伝で母校の雄姿をもう一度! 2013年10月16日

    こんにちは。川中努です。

    体育の日の10月14日、出雲市で第25回出雲駅伝が開催されました。ここ数年で、ボクの母校・青山学院大学は箱根駅伝に出場するようになりました。

    2009年正月の第85回箱根駅伝に、青学は33年ぶりの出場を果たしました。ちょうど、同じ2009年12月に東京出張の際、たまたま青山キャンパスの近くだったので寄ってみたところ、翌年第86回箱根駅伝の壮行会をしているところに遭遇しました。




    そして、グングン実力をつけ、ついに去年の出雲駅伝では優勝を果たしましたビックリマーク




    足元にも及びませんが、同じランナーとしてレベルの高いレースを観戦するというのはいい刺激になりますし、もちろん後輩たちが地元の出雲路を走るところを一目観たくて、応援にいってきましたDASH!





    青学を応援するグッズが何もなかったので、取り敢えずきんちゃく袋持参です。次回、青学に行く際には購買で旗でも買ってきたいなぁグッド!

    ボクが沿道に立ったところは、3区中継所から1km手前のところでした。この地点を選手が通過する14時の気温は26.5°C、湿度55%で、日差しも強く10月にしては暑く感じましたあせる





    選手が通り過ぎて行ったのは、ほんのあっという間のことでした。1位は駒澤大学、2位は日体大、そして3位集団に青学、中央学院、法政という順でした。しっかり声援を送ることはできましたニコニコ




    観ているとつい一緒に走れるんじゃないかと思っちゃいますが、あとで計算してみたところ、この第3区間で青学の一色選手は7.9kmを23分31秒で走ったということで、1km当たりのアベーレージは、な、なんと2分58秒叫び

    ボクがマラソンで短い距離を早く走っても、4分30秒くらいなので、その速さはとんでもないことが分かります。もし一緒に走ろうものなら、一気に置いていかれます。やっぱり、住む世界が違うとはこのことですね。

    なぜ、青学がここまで強くなったのか、その理由は原監督の功績と、ここ数年で優秀な新入生が入部し全体のレベルの底上げをしてきたことにあるようです。

    そのことについて詳しく書かれているブログを見つけましたので、興味のある方はこちらをご覧になってみてくださいね。

  • さんびる田中正彦社長の講演会 2013年10月13日

    こんにちは。川中努です。

    10月に入っても暑い日が続きますね。日中は半袖でも平気。ちょっと季節感がないですよね汗

    さて、昨夜は島根県中小企業家同友会さん主催の例会に参加させていただきました。お話しをされたのは、「日本で一番大切にしたい会社」大賞・審査委員会特別賞を受賞された、地元松江が誇る、さんびる田中正彦社長です。





    タイトルは

    「私の経営道」~人づくりは環境作りから、形から入って心に至る~

    ご縁あって数年前に、会社訪問させていただき、それがきっかけで当社でも本年度から“見える化”としてスタッフ一人一人が自らつくった行動計画を壁に貼り出しを始めました。

    そして、環境整備も現在進行中です。たくさんヒントをいただいています。これを機に我が社も変わりつつあります。


    当社の事務所の壁面に貼り出した社員がつくった「行動計画」


    ボクの印象に残ったポイントは

    ・市場にはライバルとお客さましかいない。お客さまをファンにする。

    ・ライバルと闘うときの立ち位置。何をもって勝つか?1)製品の優位性/2)業務の卓越性/3)親密な顧客関係
    *さんびるさんの場合は、売り物は製品ではなくサービスのため3)の「顧客との親密な関係」ということです。

    ・さんびるはダンピングしない。社員が不幸せになるから。

    ・お客さまー地域社会ー社員・パートナーの「三方善」

    ・社長でも社員でも「○○さん」と呼ぶべき。役割の違い。風通しのいい会社になる。

    ・CS=Cutomer Satisfactuionではなく、CH=Customer Happiness

    ・木=目に見える世界(売り上げ)企業文化(さんびるに来ると気持ちがいい)、根っこ=目に見えない世界、マグマ=人生の原理原則(年間の行事カレンダーを前持って渡す→法事で休んじゃダメ。給与下がる)

    ・木を追いかけると危険

    ・環境整備=形。愚直に形をやり続ける。心は後でついてくる。

    ・決めたことはやり遂げる。やる前に社員とトコトン話す。

    ・物的環境整備。仕事のやり方と進め方を学ぶ。いるものといらないものをはっきりさせる。整備は躾。仕事の見える化。

    ・朝礼の徹底。目を合わせ握手して回る。ハッピー。笑い。

    ・社員について、“人”は愛するが“仕事”は疑う。


    ボクも普段から、良い結果を得たければ、良い原因をつくれとスタッフには話しています。田中社長のおっしゃるところの、「大地の上の大きな木」、「木-幹-根っこ」の関係は非常に頷けます。


    「大地の上の大きな木」、「木-幹-根っこ」の図

    さんびるさんの場合は、その根っこを育てるのが、“物的環境整備”(4S=整理・整頓・清潔・清掃)と“人的環境整備”(道徳、躾、倫理観など)だと感じました。

    そして、その会社を体現するのが田中社長ご自身。仕事にかける熱意と弛まぬ努力には感服します。ここまで、徹底的にやっていらっしゃるからこそ、「大切にしたい会社」に選ばれる訳です。

    講演会が終わった後は懇親会にも参加させていただきました。ここでも、参加者の皆さんの席に自ら動かれ気さくにお話をされるお人柄は、とても温かい。

    眼光鋭く厳しい面と愛されるべきお人柄。まさに相反する二面性を併せ持つような経営者。従業員の方のみではなく、関わる方が魅了されるのは田中社長のこういった魅力なんでしょうね!





    蛇足ですが、このような素晴らしい講演と懇親会をご一緒させていただき気付いたことを2つ。

    どんな理念や指針を持っていても、結果として利益を出せない経営や社長では、二宮尊徳の言葉のとおり、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」だと強く感じました。社長業は厳しいですね!

    そして、気を付けなければならないのは、素晴らしい田中社長ですが、当たり前ながら私とは違う訳です。そういった“自分以外の誰か”と自分を比較しないこと、そして自分の中にも同じ才能があって、形を変容させて7つの領域でどのように表現しているのかを認識することだと強く思いました!

    あくまで、オーセンティックに本物の自分に気付き、パワーを発揮していくための聴講にしたいですね。

    田中社長、ありがとうございました!

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